こんにちは!楽じい(“@rakujii7“)です。
先日、日本遺伝学会は、誤解や偏見につながりかねない用語をまとめ改訂しました。
そのひとつに「色覚異常」も誤解や偏見につながる用語として挙げられ、「色覚異常」は「色覚多様性」と改められます。
これで私達は、「異常」という言葉から解放され「多様性」として新たな時代を迎える訳ですが・・・
さてこの「多様性」って今後一般色覚の人には、どう解釈されるのか?
私たちは、どう使っていけばいいのか?
そこんとこ考えてみます。
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なぜ多様性になったのか?
なぜ今回、色覚多様性になったのか?と言うと・・・
色は人によって様々な見え方をする。少数派ではあるが、一般色覚の人が見える色と違った見え方をする人が存在する。という認識から「色覚多様性」とした。
もっと具体的に例を挙げると、赤色系の色の見え方が弱い人たちは、赤色が時には黒に近い色に見えたりする。
なので人によって色の見え方は、さまざまだから「色覚多様性」とした。
事実そうであり、私たちは一般色覚の人よりも様々な色の見分け方をしています。
が、しかしです。本当に多様性という用語は、正しく解釈してもらえるでしょうか?
「わたしは、色覚多様性です」と言ったところで「なに?多様性って?」「いろんな色に見えてるの?」なんて「色覚異常」の時と違った疑問を持たれたりしないでしょうか?
色弱の人からもSNSでたくさんのコメントが寄せられていますが、ほとんどが批判的です。
「色覚多様性」を単に「色の見え方は人によって多様だ」とだけ捉えてしまうと「いろんな色に見えてる」と解釈もできます。
また、間違って色を判断しても「多様性だから容認するべき」と言った乱暴な意見もありました。
わたしは、間違える人がいるから社会は改善し、住みやすくなんるのだと思います。
人によって色の見え方は様々
さて「人によって色の見え方は様々」とはどういう意味か?
赤系色弱(1型2色覚)のわたしが、知識の範囲内でお答えします。
以前、RGB方式を使って「人はどうやって色を見分けているのか?」「なぜ色を間違うのか?」について記事を書きました。
これと重複する部分はありますが、赤色を使って解説します。
下の図を用意しました。
ここに並べた①から⑮までの色は、すべて赤色です。
いや、ちょっと待って!違うやろ!
あっ!違いました。正確に言うと、すべて赤色が含まれています。
①は赤が最大(R=255・G=0・B=0)で数値を徐々に減らして、全部なくなると最後は黒(R=0・G=0・B=0)
さて、一般色覚の人は、どこまでを赤色と呼ぶのでしょう?
「①だけが赤色だ!あとは赤色とは呼ばない!」って言う人は、鋭い色感覚の持ち主。
「私は、①と②は見分けがつかない!➂になると少し暗い。なので②までが赤色」
「私は、微妙に違って見えるけど➂④くらいまでは、赤色と呼んでいいんじゃない!あとは違う」
「いや、わたしは⑤⑥⑦くらいは濃い赤なんて言い方するけど赤色で統一してる」
おそらくこの範囲内で赤という色を表現されていると思います。
つまり、一般色覚の人も色の見え方、感じ方は様々(多様)だということです。
いろんな赤を見て、感じて表現していると言ってもいい。
色弱の人は、光を感じる力が弱い
赤系の色弱の人は①の色を⑧以降の色に感じる場合があります。
さらに、光がしっかり当たっていない場所では、①の色が⑮のように見えたり、
反射面積の狭い、細い文字(赤ボールペン)などは、赤には見えません。
①に見えないといけない色が、光を感じる力が弱いために起こる現象です。
一般色覚の人よりも赤色と感じる範囲が広く、⑮以降に見える人もいます。
言い換えると・・・見ている色は①の色だけど感じている色は⑮以降の色です。
なので①の色を黒色と表現します。
「赤色を黒だ!」と言ってしまうのはこの為で、一般色覚の人よりも色の見え方は、多様すぎるほど多様なのです。
赤と黒で説明しましたが、赤系色弱(1型2色覚)の人は、赤の光を感じるL錐体(赤錐体)の機能が低下しているため、赤色を含む色とその他の色の組合せを間違って表現することがあります。
逆に言うと、赤色を含まない色(青など)と赤は間違えません。 信号機なんかそうだけど赤信号と青信号は間違えません。
人によって「色の見え方は様々だ」と言っても、ある一定の基準があります。
色覚多様性だからと言って主張することはできない。
今回の用語の改定で、わたしたちは「異常」という言葉から解放された訳ですが、
上の例のように多様性だからと言って、「わたしには、黒に見えるんだからこの色は黒色だ!」なんて主張はできません。
逆立ちしても赤色が黒にみえない大多数の人の中で、黒だと言い張るのは「異常」です。
ここは「色弱だから黒にみえたんだ!」というのが正しい主張であり、「多様性」という言葉が生きてくるんだど、わたしは思います。
全国には、色を間違えて表現する人が大勢いることを認識してもらわなければいけません。
そんなこと解ってるよ!って言われそうですが、この手のツイートが非常に多かったんで一文を加えました。
私が願う色覚多様性の未来像
色覚には多様性があると認識されましたが、そもそも人の感覚というのはすべて多様性であります。
人は様々な感覚をもっているので、そこを特に疑問に思う人はいません。
- 眼を細めて「あの字がぼやけて読めない」と言われれば「視力が低い(近眼)んだ」と察知できます。字がぼやけて見えることを疑問に思う人はいません。
- 「最近、耳が遠くて聞こえずらい」と言われれば、耳元で大きく話してあげます。「なんで聞こえないんだ!」なんて言うヤツはいない。
- 辛いものが苦手な人は、「辛くておいしい!」という感覚はありません。ただただ「辛くてまずい」のです。
- アルコールを受け付けない体質の人には、お酒をすすめないのがマナーです。昔は「なんで俺の酒が飲めないんや」なんて傲慢な昭和オヤジはいたけど・・・今は化石化して絶滅してます。
色覚異常は違います。「赤色が黒にみえる」なんて言ったら、質問攻めに遭います。
色弱だからと言っても理解できる人はすくない。非常に面倒くさいです。
これは長く続いた「異常」という言葉のせいだと言えます。
今回の改訂ですぐに広く社会に認知されなくても、将来「何色かわからない!」と言えば「ああ!色覚多様性なんだ!」と誰もが認識できる時代。
色を間違える人がいても誰も不思議に思わない。ごく普通の感覚であることが理解される時代。
間違える人がいるから社会は積極的に改善し(CUD)、私たちも住みやすくなる時代。
それが私が願う色覚多様性の未来像です。