昭和30年 第29号「暮しの手帖」

こんにちは!楽じい(“@rakujii7“)です。

昭和30年5月に発行された「暮しの手帖」を入手したので読んでみました。

昨年(2016年4月) 放送された、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモチーフとなった雑誌です。

ドラマでは、常子と花山が雑誌社を立ち上げますが、実際は常子のモデルになった大橋鎭子さん、そして花山のモデルとなった花森安治さんの2人が立ち上げました。

1946年(昭和21年)に刊行した「スタイルブック」が前身で、その後「衣・食・住」の生活全般をテーマとして1948年に創刊した「美しい暮しの手帖」。

現在の「暮しの手帖」に変更されたのは22号からです。

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商品テストの始まり

ドラマ「とと姉ちゃん」でも取り上げられた商品試験。そのモデルは、「暮しの手帖」の「日用品のテスト報告」です。

はじめは、「買物の手帖」として読者から商品を使用した感想を掲載しただけの企画でしたが、後に独自に商品をテストする「商品テスト」へと展開していきます。

「暮しの手帖」の柱と言える商品テストの始まりです。

照れる楽じい

今で言う「商品レビュー」の元祖だ!

戦後、物のない混乱した戦後復興期から高度経済成長期を実現させた日本は「奇跡の復興」と呼ばれ注目されました。

しかし、次々と生産される製品には粗悪品が多く、「メイド・イン・ジャパン」というと米国からは安物の代名詞のように扱われた日本の電化製品でした。

商品テストは消費者のためではなく、メーカーに「まともな製品を作ってほしい」という思いから「日用品のテスト報告(商品テスト)」が生まれたんです。

商品テストで高評価だった商品は大いに売れて、逆に酷評されたメーカーは経営が傾くほど影響力のあった企画記事でした。

このあたりは「とと姉ちゃん」のアカバネ電器製造の社長あなたの暮し社とのバトルがおもしろかったですね。

第29号は電気アイロン

昭和30年の「暮しの手帖」第29号は電気アイロンでした。

着物から洋服へと日本人の生活スタイルが定着すると、電気アイロンは生活に欠かせない必需品だったんです。

当時から温度自動調節やら蒸気アイロン(スチームアイロン)が登場していたんですね。

テストしたアイロンは、ナショナル・三菱・東芝など12種とアメリカのGE製との比較。

今では、世界をリードする日本の電気メーカーも当時はアメリカ製の品質と比べると、かなり劣っていたみたいです。

自動アイロンの温度表示盤は、全部デタラメ!

商品テストの結果は、どの日本のメーカーも粗悪品だったようです。

外国に自動アイロンができたからといって、その外型だけを真似て、劣悪なアイロンをつくられては、金を出して買う方こそ迷惑である。

使っているうちにどれだけ柄が熱くなるか? のテストでは、最悪200℃まで上昇して非常に危険である。

など日本製品は散々な結果だったようです。

「暮しの手帖」の商品テストは、公平、中立、厳格を守って商品テストをしていたことから日本の電気メーカーは、この結果を真摯に受け止め欠点の改善に取り組んだんです。

後に日本の電気メーカーが海外を追い越し、「メイド・イン・ジャパン」が高品質の代名詞となって行ったのは言うまでもありません。

持ち家は今も昔もゼイタク品

持ち家は今も昔もゼイタク品のようです。

昭和30年は、100万円で3LDKの家が建てられました。当時としてはかなり贅沢だったのです。

現在で言うと2,000万円くらいでしょうか、住宅ローンなんてまだ無かった時代は現金で購入していました。

2,000万円を現金で払うなんて、確かにゼイタクです。

今ではあたりまえだけど、子ども部屋があって窓は出窓になっているようです。

そして・・・

居間の一部に食卓をおき、それに接して小台所があります。

居間の西側には六帖と三帖の和室、その居間と直結する廊下があり、

その廊下から洗面所と浴室に行けるようになっています。

楽じい

あたりまえヤン!って思うけど、この時代は贅沢な間取りだったんですね

台所の流し台がステンレスになっています。正確にはステンレス素材を貼り付けた流し台です。

ガスコンロもあって、今で言うシステムキッチンです。

楽じい

60年前の生活総合雑誌「暮しの手帖」から見る昭和の暮しでした。

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