明治7年(1874)に廃城となった高槻城の石垣石は、現在のJR京都線建設のため橋脚やアーチ(トンネル)に転用されました。
JR京都線の芥川鉄橋の橋台やトンネルの基礎部には、今も転用された石垣石材を見ることができます。
今回は、橋台と3っのトンネルを紹介します。
簡易地図がこちら
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石垣石で造られた橋台
簡易地図の「石垣の橋台」は、国道171号線の「高槻橋西詰」の交差点から南へ300mの所です。
芥川に架かる鉄橋の橋脚の内1本に、石垣石で造られた橋台が、今も残っています。
複数ある内の1本だけが石垣なのかは不明ですが、ほぼ完全な形で残っています。
①トンネル(川西町2丁目)
次は、簡易地図の①
基礎部分に石垣石が使用されている小さなトンネルです。
ここは鉄橋の西側。堤防を降りてすぐの所にあります。
入り口の高さは150cmくらいの低いトンネルですが、ここは人が頻繁に通る生活道路です。
入口から5mくらいは、レンガ補強のためコンクリートで覆われていますが、奥に入って行くとレンガの基礎部分が石垣石で造られているのが分かります。
所々、矢穴を空けて石を割った跡も確認できます。
※現代のように重機がなかった時代。硬い石を割る技法が矢穴技法でした。
金槌とノミで「矢穴」と呼ばれる穴を列状に掘り、クサビ(矢)を打込んで予定の大きさに石を割りました。
高槻城跡の「まちかど遺産」に保存されている石垣石と同じ形の「矢穴」の跡が、トンネル入口の石垣でも見られました。
②トンネル(西へ430m)
簡易地図の②トンネルは、①から西へ430m
国道171号線からは「川西2丁目西」交差点を南へ300m
中学校の通学路であるためか、車で通ることはできません。
こちらもトンネルの一部に石垣を見ることができます。
矢穴などの痕跡は確認できませんでしたが、高槻城の石垣石が転用されているのは確かなようです。
③トンネル(朝日町)
最後の③トンネルは、国道171号線の「今城町」交差点を南へ
近くまでは車でも行くことができますが、車の通り抜けはできません。
入口付近の石垣に、数多くの「矢穴」の跡が確認できます。
拡大
非常に目立たない場所ですが、明治時代の国有鉄道開通のために転用された石垣石材を紹介しました。お城が破却されたのは残念ですが、別の形で高槻城の痕跡が市内に点在しています。